5、国際論文と酪農生活


この就労旅行といいますか働きながら何かを見つける。この旅の初めに『何でもいいからやってみろ』このときは何をやったらいいのか分からなかった。しかし、『今は自由なんだ。何でもいいんだ。』に自分自身変わっていた。自分の人生で印象深い物、やはり、フランス・イタリア料理食材輸入専門商社だった。フランスの『A.O.C』と『ラベルルージュ』といった僕が見たのは、家禽類に対する農業政策の国家基準だ。フランスの食材は確かに美味しかった。日本も負けては無い。でもフランスは価値にこだわりアピールもうまい。弱点を見つけるのは難しい。そうだ、売り上げ数で勝てばいい。ではどんな方法がある?勲章?称号?私の中で葛藤が続いた。一般市民に近い存在。『公認だ。市区町村公認、都道府県公認、国家公認、国連公認の特産物を形としてはっきりさせれば、フランスに勝てるかもしれない』今度はテレパシーが聴こえたのです。『フランス大統領のSです。お見事です。それをやったらフランスは抜かされるかもしれませんね。その後のお話を聞かせてもらえませんか?』(幹雄)『各都道府県の担当国を4~5か国それぞれ決め、輸入規制を2つ用意する。国家規制と各都道府県規制です。国家規制で通関できないものを各都道府県規制で通関できるように本国の技術を学び、各都道府県の新しい価値として民にとっての魅力に繋げる。各都道府県内に担当国の村を作り、その入り口に銀行を設置し、その国の紙幣で買い物をする仕組みを作る。これを日本万国博覧会といいます。』(ロシアP大統領)『よくやった。見事だ。』このころからテレビに向かって独り言を言うようになっていた。(詳しくは、当ホームページ:『国際論文』(日本)地方分権政治の国際化(日本万博)をお読みください。)わたくしは、この時、ハッキリとした幻聴と認識し、自分自身統合失調症であると認めた瞬間であった。イギリスのB首相は『この国際問題を解決できるかもしれない。』自分にとってみれば、何の問題なのか全然分からない。ロシアのP大統領は『我々に協力してくれないか?』私は怖かった。『協力する。お金も名誉もいらない、欲しいのは自由が欲しい。』神様の声で『幹雄に野望があれば、独裁。野望がなければ本物だ。確認しなさい。』(幹雄)『言うまでもありません、皆さん聞いて欲しい。目的はただ1つ。今、我々の世代の国益の為ではなく、後世代、後々世代、その後の世代の子供たちの為に、今、我々の世代で何を残すことが出来るだろうか?それを考えた時、今喧嘩している暇はない。もし~だったら、貴方はどうしますか?と言えば話がまとまる様な気がする。私はそういう人間です。』(P大統領)『協力してくれるんだな』(幹雄)『はい。』その当時現在の牧場のアルバイトは私一人だったので、ストレスがたまった日は牛と会話をしたり、牛にマッサージをしてあげたり、戯れていました。人間の言葉が分かるみたいで、牛も鳴き声で応答してくれる。のどかな日々でした。その後も作家活動をしながらどんどん作品を並べ、自分でも驚く位、速さと正確さに自分の思ったことを伝える、そこに力を注いだのを諦めませんでした。一方、酪農生活の方は牛さんたちも私の顔を覚えてくれたみたいで皆私の言う事を聞いてくれます。だから、可愛いですね。朝の4時から9時までと夕方4時から8時までが就労時間です。未明と夜は真っ暗ですね。月明かりがたよりです。道東の方は牧草地が多い為、電灯が必要ないんですよ。不便ていえば不便ですが、私は、こういう世界も嫌いではないですよ。東京の様に1分歩けばコンビニに辿り着ける街もあれば、厚床の様にコンビニまで10kmもある街もある。厚床で学んだことは物の有難みを学びました。『不便だからこそ大切にしなくてはならない』ということなのです。どちらが良いかは甲乙つけられないですね。