3、絵画・デッサンとの出会い


鳥取のケアハウスの所長さん、副所長さんに助けられた私は、ケアハウスで働く事となり、掃除の仕事、配膳の仕事、当直の仕事を任されるようになり、特に当直の仕事は、時間が有り余ってしまい、毎回のごとくメモ用紙に落書きを描いてました。では、今度は落書きではなく、りんごの絵を描いてみよう、自分の手を描いてみようなどと好奇心が段々湧いてきて、描き終えてみると『もしかして、デッサンの才能があるのではないか』と自分自身思ってしまったのです。給料日になったら直ぐ本屋へ行き、デッサンの本を買いそれを真似て描いたものです。しかし、そのデッサンの本も、まるで白黒写真のようなレッスン本でとても魅力がありましたね。31歳の事でした。デッサンを描いていると気分が自由に解放された気分になり、その爽快感から論文を書くと良い論文が書けたことを今でも思い出します。そこで書いた論文、詳しくは、 国際論文(経済難国関連)下方に記してある『国際的自動車企業活性化案』をご覧ください。この頃は、大学ノートにデッサンを数多く描いていましたね。そして今に至るまで続いている訳です。ケアハウスの入居者の方の中に美術大学の出身のお婆様がいらっしゃいまして、陰と陽の影の付け方が逆と言われましたが、これも味があっていいかもしれない。と言われ芸術は自由である事を改めて感じました。『平森さん、枠にとらわれたら道が狭くなるから自分の思った通り描きなさい』という言葉を頂きました。自分自身が感受性が高いのかどうかは分かりませんが、私に教えてくれる人が今までどちらかというと多く、ラッキーな人生であり、感謝の気持ちが持ち抱えることが出来ぬ程沢山あります。その節はお世話になり感謝の気持ちで、毎日一日一日を大切に過ごしております。