3、今までの人生の中で一番きつかった柔道部の合宿


柔道部の合宿は冬のI高校での合同合宿と夏の千葉県内房岩井海岸での合同合宿で、いずれもI高校との合同合宿でした。まず、夏の合宿は僕の場合は、1日目終わるまで合宿の疲れや辛さや実感が湧かなかったですね。朝、東京を出発して昼に岩井海岸に着くのですが、それまでの間は電車からの風景を見ているせいか合宿の実感というよりも、ちょっとした旅行気分の方が近いかもしれませんね。午後からは合宿が始まり段々地獄が始まるカウントダウンですね。1日目ですので、まだ余力といいますか早く体が馴染むことをただ考えていました。トレーニングが終わると筋肉痛や疲労がじわじわとやってきて、次に待っているのが食事です。これこそ地獄のトレーニングメニューの1つです。ラーメンどんぶり御飯三杯(食べ終わるまで麦茶は飲めない)、乾いた口の中におかずとご飯をただひたすら頬張る。その繰り返しです。味わっている、そんな余裕はないですね。全部たいらげ多分、胃拡張になりながらも食道で食べ物が止まっていて、消化以前の問題で歩きながら戻しそうになっていました。食事により頑丈な体が出来上がる感覚が感じ、勿論食べ物を戻す場面もありましたが1周り2周り大きくなっていく実感がありました。筋肉も昨日より今日、今日より明日、明日より明後日と日に日にたくましくなる姿を自分自身内側から味わっておりました。食べる内容としまして毎日の事なのですが、先輩の食自分をプラスして御飯がどんぶり4杯、肉料理いくらでも、魚料理いくらでも、卵料理いくらでも、味噌汁どんぶり1杯、麦茶は全部食べ終わるまで飲んではダメという環境でした。これは食事トレーニングとでも言っておきましょう。食事トレーニングで、勿論この年頃は成長期で食べて動けば、肉体的にどんどん大きくたくましくなっていく。それだけではありません。精神面でも太くたくましくなっていくのです。食べたものを戻してしまう程、食べると言う事は体力を使うと言う事。体力という言葉の中にある精神力は、時には攻めの精神力、我慢、守りの精神力として自分をコントロールしていった訳です、これは、社会人になってから大変役に立ちました。話は戻りまして、即ち食事トレーニングは精神トレーニングゆえ、体力の強化なのです。1日が終わり風呂入ってぐっすりですね。

翌日になり朝ですが足取りが重かったです。非常に。それは恒例のマラソン(2~3km)が朝一のトレーニングメニューだからです。合宿所をスタートとし国道淵の上り坂を上がりそして下り、その坂道も非常に長く時が流れ、前に走っている人の背中を見て走るそれしか考えていませんでした。景色を見ていては、なかなか走る距離は縮まない。自分に集中してました。柔道は私は、弱かったですけれどもマラソンに関してはいつも2~3番目に早くにゴールしてました。その当時の体重は63kg位で48歳である今現在の体重91kgを考えると相当痩せていた事になりますね。話は戻りまして、岩井海岸に到着すると次は砂浜ダッシュです。50m位を3セット確かそれ位ですね。ふくらはぎと太ももがパンパンになりまた事を思い出します。ここで終わると思いきや今度は海の中に入り準備体操で海の中でスクワット50回を2セット、そして2人1組になって肩車。何やると思いきや海の中で肩車スクワット50回を2セット。そして、ストレッチをやって宿舎に戻り、最高の(最高に辛い)食事が待っているのです。

冬の合宿はI高校で合宿やるのですが、食事に関しましては夏合宿と同じで最高にしびれる合宿のサブメインイベントでしたね。早朝はマラソン。食事、休憩、午前の柔道の練習、食事、休憩、午後の柔道の練習、食事、就寝が1日の流れです。午前の柔道の練習は10時から始まり12時まで、午後の柔道の練習は3時から始まり5じにおわります。私自身は立ち技が弱く、技を掛けられた時踏ん張りが効かないのです。私の足が外反母指で技を掛けるのも体が崩れてしまうのです。唯一の柔道の練習の自慢は高校3年最後の冬合宿で全国大会長野県代表M高校が合同合宿に加わり、寝技の練習試合があり110kg位かな、当時63kgの私が3秒位で抑え込んでしまったのです。それを見ていたコーチは私を呼び、寝技の練習をしたのです。3秒に一度の割合で間接をきめられ最後締め技でとどめを刺され、参ったをしたのですが段々目の前が白くなり気持ちよく落ちた訳です。意識が戻るまで2~3ふんだったのですが、私本人は8時間位寝たような気分でした。