1、いじめ時代


中学3年の時高校受験で東京池袋の高校を受験し、J高校に合格しました。マークシートでした。J高校に入学しオリエンテーションを通じ段々と友達付き合いが出来て来るのですが、同時にこの人は体力のある人、この人は知力のある人、この人は統率力のある人などと徐々にわかってくるのです。そして教室内に派閥が出来、男子も女子もグループ毎のたまり場が出来て来る訳であります。私は文化系の部活放送部に所属した為、比較的地味な部類に当てはまるのではないかと思います。もうこの時点でいじめられ易い環境にあったのではないかと想像できます。大きく分けて体育会系と文化系に分かれますが、体育系が行動的としたら文化系は理論的と言えましょう。人間関係という意味での信頼性を考えた場合、口でいう部分と行動として動く部分が重なった部分が信頼度でそれを毎日毎日重ねて生活していく様を信頼性と私は思うのです。信頼性のとり方として長く時間を稼げる人は、年が若いのでそういう人はいないのは当然で、ストレス発散も勢いに任せるというのが適当な表現であると思います。即ちいじめられる人間の共通点は理屈っぽい所へ集中する現象が起こるのです。いじめの内容は様々ありましたが、この時があったからこそ、社会人になってから役に立った事、救われた事、相手を思う気持ち、もろもろ機転が利いた事は事実であります。私は登校拒否を高校時代経験しましたが、当時の気持ちは何することも出来ないどん底で、無気力という言葉が適当で、今となっては社会人として、無職の時が登校拒否と同類と考えた時、今現在の場合、私は一人旅に行き、自分自身を振り返り、次をどうするかを考えます。登校拒否が無気力だとしましたら、無職は切り返しの時であり、これは経験が生んだ信念だと思うのです。当時は辛さの方が大きく、中学校の担任の先生に相談した事実、登校拒否を解決する為一緒に高校へ交渉し、今思えば感謝の二文字に辿り着き、体育系の部活に入部する方向性で話が結ばれた訳であります。