7、子供の頃親から学ぶ外学習は人生における大きな先輩


大人は、知的財産や学校では学ばない知恵などを十人十色それぞれ持っています。まだこのころは、中学生最後の年ですので、その言葉の意味の深さやその言葉をどの様に使うのか理解しているはずがありません。その様な中、親としてもどの様にして息子たちの表現力を育てて行くか?ヒントがあるのは、外学習だと私は思うのです。外学習には様々な表現、即ち形、仕草、模様、行動表現、精神模様、など色々な表現の仕方があると思います。その次に創り上げていく環境は大切ではないだろうか?例えば、作り上げていく環境の中での言語表現とは何があるか?と思うのです。その中には1日1日、一歩一歩、着実に、丁寧に、そろえて、左右対称に、まっすぐに、深く、浅くなど一定規則や規則的な形式表現、付加価値を加える状況表現によって安定して価値のある文章作成や伝達ができる様になり、その期待から現実に変わる大元の要が外学習であると私は思うのです。即ち、外学習は想像力を豊かにするという事だと言い切れるのです。外学習というものは、ある意味自分にとって自由時間でした。虫の時も(採集)、魚の時も(釣り)、ザリガニ釣りの時も共通点を見つけ比較します。(当たり前の事も、応用の事も。)そうする事により色々な発見をしたり、現時点の心の時計を止めて当たり前(自分にとっての)を大切に見て行けば、見過ごしていたものを当たり前のように気付き始めたりするのです。ゆえに、見逃していたからといって焦る必要はないのです。この世の中、良い作品は沢山あり、いくらでも取り戻しがきくのです。僕が統合失調症だからでしょうか?外学習に行くと自然が教えてくれる様な気がするのです。物事の自然の流れをわきまえて物事を見るのです。当たり前ですよね。私は自分自身の『当たり前』を大切にしています。私は完璧な人間ではないですが、できるだけ自分自身の当たり前は説明できるようにしたいのです。だから、自然を大切にすれば自然生物のメカニズムが見えて来る様な気がし、理由が後から付いてくる訳です。外学習は自分にとって自由研究をする上で研究条件が沢山交じり合う色々な事を考えさせてもらえる空間(理に叶う事なら、何でも考えてもいいと許された場所)です。去年より今年。今年より来年と飛躍させようと頑張れる所。言うなれば、外学習は人生における、大きな先輩。 ですね。