1,生まれてすぐ死にそうになった

1974年(昭和49年)2月5日、東京都品川区西中延に平森幹雄が生まれる(寅年)出生届日は2月14日今でいうバレンタインデーであります。ハイハイ出来る時から一人にさせると危ない存在だったそうです。例えば、私が頭から階段をハイハイで降りようとし、年子の兄(三男)が必ず喋れない言葉を大きくしてウォーウーなどと両親を呼び、私幹雄の危ない行動を食い止めていたのは家族皆が知っていることでした。末っ子と言う事で究極の甘えん坊だった私は、記憶を辿ってみれば、乳児の時の事で覚えていることがあります。それは、僕の事を寝ながら「高い。高い。」をやって顔を遠ざけたり近づけたり記憶に残っています。2歳の時の事です。なぜなら、その後入園式で私は泣き止まなかったので、母からなかなか離れなかった鮮明に記憶にある思い出から逆算したら2歳の時の出来事なのかなぁとなるのです。この様に元気な状態である幹雄、一体なぜどの様な経緯で死にそうになったのか?そして「心肺停止」で一度死亡宣告されたのか?病院の先生も「もう無理です」と言われ、父も私に心臓マッサージをし半分諦めていたところ、数回の愛情によりその愛情が私に伝わり息を取り戻したのであります。もともとの原因は風邪をひいていた祖母の近くに私が寝ており、その祖母の病原菌が私の体に入り血液にまで達してしまったという恐ろしい状態だったそうです。その後いつ頃だっただろうか4~5歳に私が成長した時、祖母からその話を聞いたのを覚えております。「ごめんね。」と一言、言われたので私が、「今は元気だから大丈夫だよ」と微笑み返したら、祖母の目にたまるものを伝わり感じました。こうやってお互い元気で生きている喜びというものは、言葉ではなかなか言い切れぬほど「あたりまえ」なものという表現に近い簡単で素っ気ない物なのかもしれませんが、その簡単で「あたりまえ」だからこそ、毎日の積み重ねが健康へ対する努力即ち手洗い、うがい、風呂、歯磨きであると思うのです。私が心肺停止になっていなければ、祖母からこの様なこの様な展開での会話は無かった訳でありまして、結果的に「あたりまえ」を大切にすると言う事は説得力に繋がり、いつなんどき役に立つ時が来ることもあるかもしれません。何はともあれ辿り着く所は健康第一であるという事ですね。階段を前進で頭から降りようとする「いたずら好きの赤ん坊」は今現在の平森幹雄という原点そのものですね。