5、今思えば父母への感謝。三浦半島別荘の存在


今からどのくらい前の時からの事だろう、記憶として残っているのは44~45年前私が乳母車に乗り祖母が乳母車を押して別荘の坂道を上がり野比バーベキューといういろり焼きのお店で鶏肉の骨付きもも肉をいつも注文していた頃の事。父の仕事が高度経済成長に乗っかっていた事と母の父に対する裏方の二人三脚が成功を促したと今思えばそう思います。骨付きもも肉に付けるタレこれもまた美味しく味をしみこませながら焼いた記憶があります。そして、またこの様に肉を焼くという事は想像してみて下さい。そうです、煙です。鶏肉の脂に火が付くと焼肉屋さんで想像すれば分かりますが、とにかく煙が凄かったので、平森家ではどの様にしてこの煙をしのいでいたのか?変わり者一家ですね。水中眼鏡です。これで目が煙で痛くなるのを防いでいた思い出があります。幼稚園の頃はそれ程食べれなかったのですが、小学生になってからは食教育の家庭方針がとにかく食べなさいに変わったのです。習い事も小学校低学年の時水泳を習い、小学生中学年の時平日は柔道を土日は三浦半島の別荘に行き、バーベキューでたらふく鶏肉を思う存分たべるという贅沢な生活でした。あと別荘生活での楽しみは、元旦はお供えを神棚に上げてお雑煮を食べ、お頭付きのタイの煮物を食べた記憶とあとおせちですね。2月は節分に近い日の土日で豆をまいてましたね。5月の子供の日連休はやはりお頭付きの真鯛の煮物が毎年恒例です。7月、8月毎週土日に関しましては三浦のスイカを家族皆でかぶりついていたのを思い出します。9月は山栗を探しに散歩しにしばしば出掛けていましたり、そして年間通しまして毎週土曜日夜野比バーベキューへ行き昼間は土日とも油壷シーボニアに釣りに行っていました。10~3月はカレイ、イワシで、3~10月は白キス、メゴチ、海タナゴ、ハゼ、ヒイラギ、カレイ、そしてまれにアナゴ、タコ、ワタリガニが混ざります。7~8月の夜三崎港でアジ。観音崎(鴨居港)でアジ、そして昼間、鴨居の砂浜でアサリが取れ、走水で青柳が取れました。あと、子供の頃の遊びとして虫取りとアメリカザリガニ釣りも自分にとって人生の良い思い出として輝かしいページの一つです。そして季節ごとのイベントが我々子供たちにとってみれば私の人生において、何に置き換えることも出来ない大きくも小さくも稀少な存在であり、この場を借りて48歳平森幹雄が父88歳平森正男にお伝えしたい。この年になってお父さんのあの時の私たちに対する愛情の意味深さが分かりました。私には真似のできない事ではありますが、長生きをしいつまでも元気である事を心から願ってます。