3、北海道の大地が喋った


電車の車窓から見る北海道の大地はまるで日本ではないような日本だった。私は外国には行ったことがないのですが、テレビで見るような外国。青函トンネルを抜けて北海道に入った時から何かが違い長万部、朝出発してから岩見沢に到着するまで本州とは違う何か(雰囲気)が私の心にぶち当たり、時には私の心を覆い包み、まるで私の人生を蝦夷の大地が全部知り尽くしているかのように、電車の中で度々私の目から流れる涙が私の心を洗い流してくれているようにも思えた。いつしか私の心が蝦夷の大地に吸い込まれるような感覚になり蝦夷の心(大地の心)と私の心が会話をしている、言い方変えると北海道の大地は生きていたのです。(蝦夷の大地)『幹雄、なぜそんなに心が震えているのだ?』(幹雄)『何が何だか分からない。戸惑いを隠せない。ではなぜ、そんなにどっしりといつも構えていられるの?僕の心は動いても蝦夷の大地、蝦夷の山は動かない。心が強くなる方法を教えて欲しい、教えて下さい。』(蝦夷の大地)『為せば成る為さねばならぬ何事も。成るようにしか成らない。遠くを見つめるのだ。』私は、この3つの言葉を聞いた瞬間、涙が止まらなくなり、入ってはいけない心の領域に入ってしまったとその当時恐ろしいものを感じていた。それが後に厚床の牛舎に着いた時結果を残す事になるのですが、電車に乗っている時は、涙が止まらず隣のボックスシートに座っている観光客の人から、『大丈夫ですか?何かあったんですか?』と聞かれ、『ちょっと人生を思い出してしまって・・・』と言う以外言葉が見つからなかった。岩見沢の駅に着き、今度は空の方から声が聴こえて来た。『幹雄、死にたいか?耐えられないか?正直に答えなさい。』一方、山の方からは『幹雄、死んだらだめだぞ。人生、そう簡単なものではないが、人間死んだらそれまでだ。生きてこそ幹雄の居場所が必ずあるはずだ。諦める事はいつでも出来る。』『二択だ。人生をあきらめる場合は北へ進め。自分の人生を信じる場合は南下し、帯広、釧路方面へ進みなさい。』私は死ぬのが怖かった。格好つけてもしょうがない。私はどうせ格好悪い人間だ。だから何だって言うんだよ。成るようにしか成らないんだ。と思いながら、南下した訳であります。進行方向は富良野を通り抜け、帯広へ到着し、すぐさまホテルを探し1日の出来事を思い流しお腹が減った幸せをゆっくり堪能した訳であります。今日1日はまるで1週間過ごした気分に匹敵する位、良いことも嫌な事もギッシリ詰まった濃厚な1日でありました。教訓として、嫌な事があったからこそ、ちょっとした幸せも大きく見えてしまう。終わり良ければすべて良しと言いますが、人生のコントロールとして上手いやり方は良しとされるところで一区切り入れるやり方は次に繋げる絶好の時期で、幸運を呼び寄せるのではないかと私は思いました。明日牛舎に着く訳ですが自分にとって好都合の妄想が広がりホテルの中でワクワクする自分がとうとう厚床に着く訳です。