5、短い期間でしたが、さらば白骨温泉


今までに白骨温泉での就労は2回ほどお世話になっているのですが、今回は1回目で2か月の就労でした。まるで、半年くらい働いたかのように数多くのドラマや思い出の頭の中は、飽和状態であります。白骨温泉には売店も1軒しかなく、その不便な環境が行動範囲を諦めさせ、従業員の寮の窓から見える渓流を眺め、ボーっと時間がゆっくり過ぎて行くのを楽しむという大自然と私の目で遊んでおりました。白骨温泉は一見、何もない所の様に思えますが、全然楽しくはない事はありませんでした。今思い出せば、確か、この頃ロシア語を勉強しておりましたね。勉強の最中窓の向こうで『キューッ、キューッ』と動物の鳴き声が聞こえるのです。そうです『カモシカ』です。急斜面の崖の所に立っているのです。(怖くないのかなぁ?野生だから当たり前なのですが、慣れたものですね、カモシカは!)地元の人に聞くとツキノワグマ、サル、鹿、いのしし、たぬきも出るそうです。大自然ですね。その大自然の中、白濁の温泉は山の奥地の宝であり稀少価値でもありました。その温泉は飲むことも出来、翌朝の温泉粥として朝食にも出て来るくらいです。薄っすらほんのり温泉の香りがし、上品なおかゆとでも言いましょうか、美味しいですよ。住み込みバイトは色々やって来ましたが、そもそも私の出身地元が東京都品川区、ビルやマンションが立ち並ぶ環境だったもので、白骨温泉は、素朴ながらも深く輝くものがあり、長野県を代表とする堂々たる唯一無二の存在であると私は思っております。仕事としても肉体労働でもなく、程良い就労環境、仕事終われば、大自然の環境の中、ロシア語の勉学と充実した毎日でしたね。良い条件の揃った職場から退職の決意まで考えたきっかけは、やはり白骨温泉の事件でしたが、今でもあの時、辞めてなければ、人生が違った人生だったかもしれない、即ち、それこそ「運命」の二文字になってしまうということです。しかしですよ、「運命」は今までの人間に対する存在としては誰もが分からぬ存在と今まで思っていましたが、「運命とは」作り上げるもの、大切にするもの、積み重ねる物などであっても良いのではないだろうか?時代は変わるものでもあり、この頃から印象的にそういう発想が心を豊かにすると感じていた自分の存在があったのは事実であります。例えばこの様な言葉があれば分かり易いと思います。『100歩先の夢』を見て、『50歩先の目的』を定め、『30歩先の目標』を考え、『10歩先の計画』を立て、『1歩先』を歩く。そうすれば頭の中が整理整頓されるのでは、そして、人生に力の入るイメージができると思うのです。大都会東京都品川区で30年間住みなれていた人間が、環境の全く違う大自然に住み込む事は、自分自身の環境条件を比べる意味で『人生の参考書』になった事は貴重な存在でありました。この様な流れで白骨温泉を跡にするのですが、『なぜだろう、涙が出たのは』白骨温泉の思い出という絵画作品を額縁に入れて、『私の涙』というクリーナーで額縁を綺麗に洗った事により思い出を一生涯忘れない魔法の液体とでも言いましょうか。涙は生きているのです。そして『さらば、白骨温泉!』。