6、山を下りて松本での陶芸生活


白骨温泉を跡にし、バスで松本駅まで行きビジネスホテルを3連泊予約を取り、すぐさま松本市街を歩き、仕事の求人のポスター探し回りました。飲食店を主に探し回り4件のポスターをメモ帳に書き溜め、ビジネスホテルに戻りました。4件とも居酒屋だったもんで、電話受付時間が夕方4時、5時の受付が多く、まだ14時だったので、昼ご飯を食べに行く事にしました。面白いラーメンの名前に気付き、ラーメンの名前に心惹かれお店に入ることにしました。そのラーメンの名前は、『味噌牛乳ラーメン』です。どんなラーメンだろう?脳裏にラーメンの画像が次から次へと思い浮かぶのですが、ニアピンでしたね。「お待ちどうさまでした。」玉子、チャーシュー、ねぎ、バター、コーン、ここまでは味噌ラーメンと同じですね。麺をすくおうと具をよけましたら、なんとスープの色が、こんな言い方して良いものだろうか?色がカフェオーレ色なのです。恐る恐るスープだけ飲んでみますと『コーンポタージュ』の様な味わいなのです。味は見事に当たりませんでしたね。実に美味しかったです。(2023年9月に松本に旅行に行った際、お店を探したのですが、もうお店はなかったですね。)さて、食事も終わり履歴書を買い、ビジネスホテルに戻り、午後2時45分。ゆっくりお風呂につかることにして、面接の事を考えるとバクバクと心臓の音が自分の耳に伝わってくるのです。やはり、住民票は東京都品川区、そして、求職は長野県松本市。何か落ち着かない部分があったのです。夕方4時になり、電話をかけ、明日の午後2時に履歴書を持ってお店に行く事となったのです。明日になり面接の時間になったので、店の扉を叩き面接が始まろうとしていました。やはり聞かれたのは、なぜ、東京の人間が松本で働きたいのですか?と聞かれ、白骨温泉事件の事を説明し、納得して頂いたのと、調理師免許を所持しているのが決定的でした。面接は滞りなく終わり、明後日結果が報告されるので、もう一つ面接を受けようと就職活動に努めた訳であります。時間は午後4時だったのでもう1軒、明日に面接を予約し、お風呂で1日の汗を流し、夕飯をどこで食べるか夜の松本市街を散策し、居酒屋でウーロンハイ片手につまみを4品頼み、今日という一日がゆっくりと終わりを告げようとしているのです。次の日、思いもしない朗報が飛び込んでくるのです。マクドナルドで昼食をしている時、最初の面接の内定が決まったのです。「本日お店までこれますか?」勿論、「ありがとうございます。行けます。」と返事をし、明日から寮に入れると言う事で、明日、店長に電話する約束をして、電話を切ってすぐもう1つの面接を丁重に断った訳です。夕方4時に契約手続きが終わり、ビジネスホテルに戻りサッと風呂を浴び、松本市街を細かく散策する事にしました。するとお洒落な陶芸教室『公開工房のまど』のお店に目を奪われたのです。入ってみると色様々な陶器。釉薬のスペシャリストですね。結局1か月後生徒としてお世話になる事となります。仕事の方は、開店作業、テーブル席、カウンター席の割り箸、小皿のセッティング、フライヤー、焼き場などの点火、米炊き、味噌汁、そして最初は焼き場担当になりました。1週間ごとに新しいポジションを覚え、最終的にカウンターでヒラメを下ろしたり、カンパチを下ろしたり、アジ、貝類の掃除、主に刺し盛が担当でした。一日一日をしっかりと働き、そうするうちに、速いもんですね、給料日がやってきて手取りで23万円位もらっていましたね。休みの日、銀行に行き1万円下ろし早速陶芸教室に行きました。親方が「作るものイメージした?」勿論「陶芸で籠を作ります」「カ・カゴ?初めて聞くなぁ」幅1cmの細長い短冊をいくつも作り、それを編んで行く。編んだ粘土を籠の形にするのに、まず、テーブルの上に丸尾帯びただ円形の器を置き、その上に編んだ粘土をそっと置きます。編みこみの部分の外側を丁寧に長さを揃えへらで切り、編んだ粘土はデリケートで直ぐヒビ割れを起こしてしまい、一つ一つひび割れている所を粘土を足して修正します。それを上から下までドライヤーで加熱し、粘土を乾かし7割がたかためる作業をします。粘土が7割がた固まったら、直径幅5ミリのヘビ形を6個作り三つ編みを2つ作るのですが籠の一番上の籠の部分から外側に曲がった部分に、半分半分2つに分け三つ編みを乗せ接着させます。接着させるには歯ブラシを濡らし接着させる両面に歯ブラシで傷をつけ、粘土と水を混ぜ合わせたドロッとした粘土を塗り完全に接着させます。取っ手の部分も三つ編みで仕上げるのです。この三つ編みの取っ手の付け方は、籠の中に新聞紙を丸めて取っ手の高さに応じて新聞紙を乗せ、その上から三つ編みの取っ手を乗せ接着する訳です。仕事に関して3か月位の就労で東京へ帰るのですが、松本での生活は、芸術的にも、就労的にも充実しており、住みよい程よく気持ちの良い街でした。仕事を辞める直前バーベキューをして頂きましたり、私の思い出にいつまでも刻まれております。