3、畑で採れたてのレタス『美味しかった!』作家活動にも気力


入社してから3か月位の事、天気は晴れていて、いつも通り清々しい朝の中、畑仕事をやっておりました。未明の内に前半の仕事がほとんど終わりに近かったとき、朝日が昇り今日もいちにち暑くなるのだろうなぁ。と考えながら残りの仕事を着々と進めていると社長が何かを食べているんです。ちょっと遠くにいたので、私は仕事に専念していたら、社長は、マヨネーズを片手に『平森君、食うか?』(幹雄)『レタスですか?』それは、畑でしか経験することが出来ない貴重な体験でした。前日に雨が降ってなく、気温の寒暖の差が激しく、夜の気温低下によるレタスが引き締まる状態の環境で、『レタスを食べていいよ』と言われたので、初体験という意味で、一瞬ワクワクしましたね。どこの一流のレストランへ行っても味わう事の出来ない贅沢です。畑の目の前にあるレタスのおしりを包丁で切り、手でレタスを半分に割り、社長からマヨネーズをもらってレタスにかけ、それを頬張ったのです。『シャキシャキどころではありません』『水を多く含んでおり』『気温がまだ上がってないので(朝なので)葉っぱの巻きがしっかりしている。』『レタス自体が冷たい』『マヨネーズを片手に、畑で食べるレタスは、最上級のレタスを食べている感覚になってしまう。実際美味しかったです』私は幸せを感じました。こういうのが全て思い出として記憶に残っており、この日の夜論文を完成させるのですが、自分自身も経験を知的財産として大事に温めていたのです。午前、午後と仕事を終わらせ風呂、食事、が終わった後国際論文を書く気持ちになったので、真剣に考えました。(書いたのは右記のタイトル。詳しくは、【国際論文】(アジア)アジア運河遺跡計画・クラスナバイ・フローチェッツ・エコノミーカ を読んで下さい)自分にとっていい事があると気分の調子が乗って来ますよね。このようにして知的財産を増やす訳ですが必ず図書館へ行ってましたね。知的財産の宝庫だからです。図書館は面白いもんで、1つの事に対して調べた時、時と場合により全く正反対の事が記されている時がございます。歴史的人物分野がよくありますね。ここの川上村の図書館では、レタス発祥の地を調べたら、砂漠で昔、育っていたそうです。そこから栽培に変化し自然環境条件が研究され歴史を積み重ね今に至ってるそうです。報道機関などで、たまに『真実は何か?』ということばを耳にしますが、私自身は『真実とは自分自身で法に触れる事をせず、自分自身の枠の中で研究できれば、私はそれで幸せです。』例えば、話は戻り、織田信長という本と明智光秀という本があった時、内容が近いストーリーと言い切れませんね。もしかしたら、織田信長の熱烈なファンと明智光秀の熱烈なファン同士が書いていたら全く正反対のストーリーになる確率は高いからです。それに対して真実はどちらという角度から物事を見つめるのは、あまりにも視野が狭い様な気がします。だから私は真実は自分自身の判断で、真実を追求するのは心が小さく見え、環境条件を自分の知的財産にした方が賢いやり方であると私は思うのです。真実の追求はつまらないことだと言いたいのです。国会議員の皆様方も真実を追求する事を少し力を弱め、いきさつ重視で物事を進め、世の中の道徳、ルールがハッキリしない以上国民の自由という選択肢が危うくなります。【国際論文】(日本)新しい三権分立(防犯立法司法権) を読んで下さい。失礼しました。