6、フランス、イタリア料理食材輸入専門商社


横須賀から場所は東京都品川区の実家に戻り、嫌な事を忘れる為に1週間旅行に行く事にしました。温泉につかり美味しい海の幸を食べ、心のアカを洗い流してきました。満足した旅行も終え、実家からまた1からやり直し、初心に戻り求人雑誌を買いに行ったのであります。そして、求人紹介の欄に目を止めたものがありました。それは「フランスなどから直輸入フォアグラ、キャビア(イラン産)、トリュフ、などを一流フランス・イタリアレストランに納品」住所を見てみると品川区。これだと思いましたね。すぐ電話をして「まだ求人はしておりますか?」・・・求人はしてました。すぐさま履歴書を書き、翌々日に面接をしました。質問に答え最後に私が、「何でもやりますので、どうか宜しくお願い致します」と言ったのを覚えています。仕事の流れが大田市場に似ていまして、初めの1週間は先輩が私と同行して頂き納品のやり方は分かっていたので、後は道を覚えるのみと焦点を絞り、広尾、麻布、銀座、青山、神宮前など仕事後家に帰ってから家の車でおさらいでグルグルと運転したもんです。「覚えるの早いね」先輩から言われ、新しい会社で好調なスタートを切った訳です。レストランの場所を覚えたら、次の目標は納品のスピードを短縮させようと努力しわずか3週間で毎日1番に戻ってくるようになったのです。「平森は配達が速い」という印象を残した訳です。午後も配達があり、配達コース毎に仕分けるのですが、まずは紙に書いて覚え(午前中も午後の分もどこのレストランはどこいらへんにまとめて置いてという具合に)とにかく社長に猛アピールしましたね。案の定、「平森君、大体配達は覚えただろ、これからは会社の中の仕事を覚えよう。」食材管理の仕事でありました。びっくりしました。何にびっくりしたかと言うと、今までに見たことがない食材が沢山あったのです。食材として何が良しとされて、何が悪しとされるのか?勉強になったのです。とても感動しました。入社から3か月目の事でした。それから先は朝も午後も品出し(良し悪しが分かっている分、レストランごとのニーズに合わせて上手く仕分けをします)をし、地方配送も品出しを任されるようになりました。入社から8か月が過ぎ、地方発送の責任者さんから「平森君、社員にならないか?」と言われ、1か月くらい悩みましたね。他のアルバイトで『ボーっと突っ立っている派閥がいたからです、懐かしいですね。社員になった場合、その人たちを注意しなくてはならない、間に挟まれるそういう懸念があったからです。しかし、会社側からのプッシュが強かったため私は社員になる事を決めたのであります。仕事上、社員になって変わったことは、営業職(地方担当になったので電話での商品を勧める営業)が増えたのと、どうしても売れ残ってしまうもののデータを取って他の社員に報告し売れ残りの数をできるだけすくなくする努力を促していました。後は、計量ですね。社員になってからよく注意されたのは言葉が厳しすぎるというのは、指摘はされていましたが、間違った事は言っていなかったので、言い方を変えなさい程度で注意はされてました。一方、話は戻りまして、営業職で苦労したことは、例えば四つ足動物でロースとヒレは一般的に人気ありますが、一頭の四つ足動物を「と殺」すると前足や鞍下肉、後ろ足も当然のごとく産出される訳ですが、それが莫大な数になってしまうのです。私は、日本全国のフランス料理、イタリア料理、のシェフとその事情を話し合い様々な調理法をシェフから聞きそれを私が真ん中に入りレシピを共有したのです。そういう全国のシェフの皆様の努力の恩を他の商品で(たとえば、鳩やウサギ、パンタドーなどで)格安フェアーを社長に提案しシェフの皆様方が喜ばれていたことを思い出します。そして、フランス料理、イタリア料理と言えば、何と言ってもクリスマス。ブレス産のシャポン(去勢鶏)、ダンドノー(七面鳥)、蝦夷鹿、フォアグラ、仔牛、子羊など忙しくなるシーズン。私が狙いを絞ったのはシャポンでした。頭、内蔵付きの丸の去勢雄鶏です。1羽2~3万円し、初めの年は5羽しか売れませんでした。翌年は知恵を絞って考え値段交渉を社長にし、50羽売ることを約束して結論、60羽売りました。その翌年はどうしても100羽売りたいことを社長に報告すると社長はシャポンの魅力を話してくれたのです。私の担当しているレストランは250軒。FAXでその情報を流し、12月のメニューとして、クリスマスのメニューとして、正月のおせちとして勧めた訳であります。とうとう、100羽売ってしまったのです。ある日フランスからシャポンの生産者方が東京に来られて(その様に上司から聞いたのですが)、フランス語で色々喋ってました。私も駅前留学のフランス語を習っていたのですが勉強不足だったもんで、でもフランスの地方の名前を色々並べてましたね。多分、どこどこの何々は美味しいよと言ってたのでしょう。恥ずかしながら私はそれに対し、日本のどこどこの何々が美味しいよと言い返せなかった。日本人として情けない限りです。この気持ちが後に日本一周する為に会社を辞める引き金になった訳であります。