5、横浜ベイサイドマリーナと社員食堂


初めて横浜ベイサイドマリーナに仕事として入ったのは、まだ工事中の箇所がある時、完全に仕上がっていない頃の事です。新規開店の店舗の事を紹介します。私が面接を受けた時のお店の名前は、横文字の名前でした。洋食屋さんかなあと思い心を弾ませて期待してましたところ、全メニュー和食。和食の経験が寿司屋以外全くなく、右も左も当時は分からなく新人と同じ立場と言われても仕方がなかったです。出汁を取る事も煮魚を煮る事も知識経験としては浅く自信がなかったです。尚且つ和食の専門用語を言われたら頭は真っ白。最悪のパターンでした。料理長から「君、本当に調理経験あるの?」「君使えないよ」「もう(働きに)来なくてもいいよ」などと協調性がなくギスギスした空間だったことを今でも覚えています。嫌な経験は嫌な経験として納得するまでやらないと気が済まないタイプで、途中ですぐ諦めて直ぐやめる事は簡単なのですが、自分にとって社会勉強にならないと思い、ついこうしてしまうのですが、相手には嫌がられますね。ここで勉強になったことは、自分の思い通りにしたいのならばオーナー料理長になること。それまではその店のオーナーの意見が絶対で指示に従わなくてはならない。耳を傾けなければならないという世界が料理人の定めあること。それを理解した上で同じ会社の系列の社員食堂で働く事となりました。勤務地が変わったので心機一転かと思いきや、会社が同じなため悪い噂は広がり易いとはこの事、私の頭が下を向いてしまう位怒られる事ばかり、まるで『お前は要らない』と心の中で言われているかのように。ここでの教訓はたとえどんなに辛いことがあっても、あるからこそ、下を向いてはならない、顎を上げ前を向く事が大切であるということです。毅然とすると言う事ですね。予想通りですが、社員食堂も長続きせずこの会社自体を退社する事にしました。そして、東京の実家に帰ることになり、短い一人暮らしの生活が終わりました。