7、鳥取県さようなら。ありがとうまた逢う日まで。


時が経つのが早いもので、とうとう最終日前日になってしまいました。思えば、所持金200円から始まり、私の事を温かく見守って頂き、おじいちゃん、おばあちゃんの話は心温まるものがあり、柔らかい冗談がお互いを支え合い数え切れぬ程の感謝という2文字に収まらぬ程です。最後の当直の仕事、おばあちゃんたちが「あんた、今日がさいごかいな。」幹雄:「そうなんですよ。東京に帰るんですよ。」おばあちゃん:「東京か、えらい遠いな。車か?」幹雄:「ゆっくり帰ります。」おばあちゃん:「達者でなぁ。」その後皆さんが解散し就寝について静かないつも通りのロビーの姿に戻りました。そして、段々寂しい静けさへと変わり、贅沢は言わない、あと1か月働ければと静かな欲が出て来るのです。でも一度決めた事、甘えてられない訳です。居心地が良かったですね。そうしているうちに、仮眠を取り、夜明けとともに太陽が昇り始め、新聞を取りに行き、一服休憩を取り深呼吸をして、鳥取県の冷たい空気を深く味わった最後の朝でした。朝食の配膳下膳を終えて、自分の部屋に戻り昼の12時まで寝てました。自分の荷物を車に積み込み、忘れ物がないか確認し、給料を取りに行き、すると思いもしないサプライズが私を待っていたのです。副所長から給料をもらうのですが、給料袋が2つ用意されていたのです。1つはケアハウスの給料。もう一つが副所長のポケットマネーで、クリスマスパーティーの感謝の意の金一封と説明を受け、幹雄:「あのパーティーは、ここに来た当初、所持金200円に対して所長から1万円渡された恩返しの気持ちです。」副所長:「みんな喜んでいて、私からの気持ちで受け取って下さい。帰りに美味しい物でも食べて安全運転で東京まで帰って下さい。」開けてみるとなんと10万円。有難く頂戴させてもらった訳であります。皆さんに見送られながらケアハウスを後にしたのであります。帰りがけ、鳥取砂丘の砂で出来たラクダを目に残し、国道9号線を京都方面に進み京都に着いたのが夜の20時、焼肉屋に入り副所長から頂いたお金で、高価な肉を深く良く味わって堪能し、感謝の気持ちが重なり思い出し、鮮明に蘇る訳です。京都からは国道1号線に乗り換え名古屋、浜松、掛川、静岡、沼津、箱根、小田原、西湘バイパス、茅ケ崎、横浜新道、第三京浜、大田区、そして、品川区の実家に昼の14時に着きました。早速ケアハウスに電話し、無事についたのを報告したのです。2か月位都心部で人材派遣の仕事で軍資金を立て直し、中古の車を買い替え、トヨタのイプサムですね。次の目的地は岐阜県上宝村(現高山市)福地温泉です。